loveを哲学するblog

26歳OLが思考の整理を目指します。

すぐにってわけじゃない

 

 

なにか辛いことがある度、その辛さが軽微なことであろうと「死にたい」と口に出す。

嫌なことがある度に「最悪、死ねばいいし」でその場を切り抜ける。

今まで星の数ほどそんなことを呟いているものの実際に行動に移したことは無いから、あくまで私にとっての抑止力だという自覚はある。

 

親しい友人に、「貴女にとっての"死にたい"はメメントモリだもんね」と言われた。

メメントモリ。勝手に、ハクナマタタ的な、なんくるないさみたいなおまじないの言葉だと思っていて、その時は確かにその通りだ、と思ったんだけどブログを書くにあたって意味をちゃんと調べたら思ってたのと違くて、まだまだ浅学だと反省した。

Wikipedia曰く、『メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。「 死を記憶せよ」などと訳され、芸術作品のモチーフとして広く使われる。』

人は皆死ぬし、栄華が永遠に続くわけではないから不要な罪は避けよみたいな教えらしい。

古代ローマからある言葉なんて、なんだめっちゃかっこいいじゃん。

死を思うことで現世を正しく生きるという考え方は古代ローマからあったのか。結局私も生きるために死にたいとつぶやいているのだし、なるほどメメントモリだなと思った。

 

話の趣は変わるんだけど、銀行のお金の借り方に、預金担保というのがある。細かい所までは私も分かってないんだけど簡略化するとお金を借りる人の、現状で貯めている預金をかたにして、お金を借りる方法のこと、で合ってるはず。預金担保のことを初めて聞いた時、「そんなのお金借りないで貯まってるお金使えばいいじゃん」と思ったんだけど(正確には定期預金を使うし色々メリットはある)、この前考え事をした時に私にとっての「死にたい」は預金担保で説明出来るのかもなと思った。

 生きてる状態を「死ねばいいや」と口に出すことで担保にして、それで生き延びる、みたいな。利子としてメンヘラ度が上がるというデメリットもあるし、そんなの担保にしてないでそのまま真っ直ぐ生きれば良いじゃんと思うのは至極真っ当な意見なんだけどなかなかそうもいかない。 

私はきっと、私を保証してくれるものが欲しい。それは人によって特技だったり家族だったりするのだろうけど、私には確固たるそういうものがなくて、結果として、死んでもいいという仮定を作って、自分自身を担保にすることで凌いでいるのかなと思う。

 

そもそも死ねばいいやという考えを持ち始めたのは高校2年ぐらいからだった。私は高校が進学校だったから大学受験必須センター試験不可避って感じだったんだけど、受験勉強始まるあたりがトリガーだったと思う。学校からのプレッシャーはもちろんあったけど、仲良い友達も多かったし、それで潰れることは無かった。でも私は母親からのプレッシャーに耐えきれなかった。無理して高校から一人暮らしさせてもらってたし金銭的な支援という面ではとても感謝してるんだけど、その感謝で相殺しても当時の母親への許せない気持ちは有り余る。母の中にある勉強のできる、勉強が好きで真っ直ぐな娘と、現実の燻ってる娘との解離が母をどんどん神経質にさせていた。実際母の中にある娘像は、実家にいた頃の私が、実家で円滑に過ごすためにある程度きれいに作っていた虚像なんだけど、母はそれを全く信じきっていた。私は私で、少なからず母親は娘を理解してくれている信仰から抜けきれていなくて、一人暮らしをしている日々の不安定も相まって、母に精神的救いを求めていた。いらつく母と救われたい娘が対峙したってそこには亀裂しかうまれない。結果私は一番しんどくなる高校三年の時に、定期的に「お前は今までもがんばれなかったしどうせこれからもやれない。ありえない。お母さんは大学行きたくても行けなかったし、叔父さんたちだってあんなに苦労したのにお前は何してる」と電話で罵られることになりわかり易く病んでいった。今となっては母親や叔父達の苦労と私の大学受験は別問題だし母が信じていた娘像は虚像だ、と言えるのだけど、当時の私はそこまではっきり言い返せなかった。私はただ、実家にも地元にも耐えられなくて逃げたくて遠い高校に入ったのに、私だって沢山辛いのに、どうして味方してくれるはずの母から罵られるんだと思った。別に入りたい大学があるわけでもない。

だから、大学受験が失敗したら潔く死のうと決めた。裕福に浪人するお金もないし、浪人している間の母には絶対に耐えられないと思った。死ねば少しは母も自身の発言の重さに気づくんじゃないかと思った。

私は家族を担保に出来なかったから、死ねばいいやをメメントモリとすることで、自分自身を担保としてその場を生き抜くことにした。なんとか大学には入れて結局死んではいないけど、もやもやしたほの暗い感情は私の中でまだまだ残っていて、他の感情とも紐付けされて未だに私を苦しめる。

だから、何かに紐付いてその暗さが表へ出るたびに、「死にたい」と言うことで、自分自身という担保を思い出さずにはいられないのだ。

 

ここまで書けばもはや自明なんだけど、私の精神不安定さは幼少期の環境や親との関係性からくるところが大きくて、いわゆる「毒親」問題に分類されるものだ。私の家の毒は根深くて私の分析では、最低でもひいおばあちゃんから続いている。このことは簡単に書けるものではないからちょっとずついろんな話題に染み込ませることになると思う。

ある時わたしが悩んでいるのを見て、毒親、という考え方があるのを大学の友達が教えてくれたんだけどその毒親問題に関する著書をいくつも執筆してらっしゃるのが田房永子さんだった。その友達から田房さんの本のことを教えて貰って、それから何冊も読んで色々考えたし、現代っ子なので田房さんのTwitterもフォローした。

それで、最近こんな田房さんのツイートを見かけてすごくしっくりきた。

 

結局私はまだ「死」でやりくりをしている状態なんだ。「死」で自分をやりくりしている限り、それは少なからず自転車操業だし、至る所でボロは出る。だからこれからわたしが向かっていくべき先は死ねばいいやで乗り越えるものじゃなく、私にとってのメメントモリが「おばあちゃんになれば」になる未来だ。

私は祖母が本当に大嫌いで、あんなババアになる前に死ぬと常日頃思ってるんだけど、きっとそういうことも含めて、もう1歩先に進めたら、私は自分を預金担保にしなくなるし、メメントモリは死ねばいいやじゃなくて、おばあちゃんになったらになるんだと思う。

今はまだまだ死にたいし、死ねばいいやと思うけど、一生この考え方じゃなくていいし、次の考え方があると分かっただけで少し気が楽になった気がした。