アウトプットを始める
私には副音声が付いていて、いつもすぐそばにいて囁く。
今すれ違った人、おしゃれだけど靴が汚かった
あんなポスター誰が見るんだろセンスが悪い
それは私自身も例外ではなくて、何かある度不安を見つけてきては囁く。
新入生可愛いって周りは盛り上がってるけどお前はデブだから例外だよ
きっとはじめは、まだ小さい頃、些細なことで裏切られたりびっくりするようなことを言われて傷付いて、これ以上傷付きたくなくて、予防線としての自戒として始めたんだと思う。でもその副音声は成長するごとに、世界が広がるごとに自分で抱えきれないほど大きな音になっていた。自分を守るために始めたはずの副音声は私自身を傷付けていた。傷付いていれば痛々しい奴にはならずに済む気がしていた。でもそんなことはなくてそうやって自分で自分を虐めているうちに、不必要にひねくれていることに二十歳を過ぎて気がついた。
もしかして、もっとまっすぐに物事を捉えてもいいんじゃないか。
それに気づいた時は目から鱗だったし、どうして世の中のあっけらかんとしている様々のことがやっと分かった気になった。
とはいえ、私は臆病でとにかく他人に傷付けられたくない。副音声含め、すぐに色んな癖は治らない。
2年くらいかけて、少しずつ拗れを解いていって、やっとアウトプットをしてみようというところまで来ました。
なのでブログを始めます。
ひたすらノートに書き貯めようかとも思ったけど、壁打ちは辛いのでいっそ公開していこうと思った。
私の中で囁き続ける副音声が、ブログというアウトプットを通して昇華できたら良いなと思う。
まだどうなるかわからないけど
これから私の中にある消化不良の様々を書いていくつもりです。パーソナルなことも多分書く。
副音声と同時に、私は普段生活していて1日に何度も過去の納得いかなかった思い出をフラッシュバックする癖があって、過去のマイナスな残像に頻繁に振り回される。フラッシュバックする記憶の中で頻度が高いものがいくつもある。アウトプットしたら何か変わるだろうか。そのうちまとめて書くかもしれない。
ブログとかで、最初と最新のものとで、文章の書き方とか行間の開け方とか、書き方のスタイルが変わっていくのがちょっと恥ずかしいと思ってしまうんだけどこれっていまいち防げないな。どんどん文体が変わっていく。
でもきっと、変わること、整合性がないことを非としないこともまた楽に生活するのに大切だ。
なにはともあれアウトプット。
私の中のもやもやの文章化、可視化をこれからやっていくのでよろしくお願いします。